今回は8月20日の土曜日に行われた、精明地区の歩行ラリーの下見の模様をお伝えします。
精明地区の歩行ラリーは、例年11月23日の勤労感謝の日に精明公民館を発着にして行われますが、今年の歩行ラリーは飯能市健康づくり推進事業の一環として行われます。
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今回の下見は、精明地区選出の体育指導委員6名、精明体協からは市川卓司理事長、青木益代副理事長、小林良副会長、細田良一副会長の4名と、合計10名で行われました。
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ご覧のように曇り空で、歩く側としては助かりました。
簡単な打ち合わせの後、午前9時15分、市役所別館前を出発しました。
市役所を北に進んで中居の交差点を渡り、さらに北進します。
ウォーキングではおなじみの宝蔵寺です。
宝蔵寺の眼下には、ご覧のようにのどかな風景が広がります。
宝蔵寺の裏手には、『飯能桜の森』の入り口があります。以前ブログで紹介した際には、まだ整備段階でしたが、今回通った時にはすっかり整備されていました。
2010年7月11日ツーデーマーチの下見・精明コース
『飯能桜の森』の案内板です。
桜の森に向かって歩いていきます。
ご覧のように歩道はきれいに整備されています。
宝蔵寺の裏山、桜の森に向かう途中に『第二天覧山』の石碑がありました。
私は石碑の存在をこの日初めて知りました。なぜここに石碑が建てられたのか興味があったので調べてみたところ、『飯能市史通史編』の『天皇行幸と軍事演習』で次のように書かれていましたのでご紹介します。
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“明治十六年四月十八日、十九日の両日、近衛の諸隊が豊岡町から飯能町、精明村一帯を舞台として、対抗演習を実施した。(中略)天皇は黒須(現入間市)の繁田武平宅から乗馬で飯能町行在所に到着され、翌日高麗横丁から第一小学校の裏をお通りになり、羅漢山(現天覧山)の中腹まで乗馬、そこから頂上まで徒歩で登られた。そこで演習の様子をご覧になり、ついで乗馬で中居の東台に回られ、飯能、精明、水富、元加治と広がる演習の様子をご覧になった(中略)大正四年に武蔵野鉄道の開通に際しての、飯能町の観光地化計画の中で、羅漢山は天覧山と名が改められ、中腹の御駒繋ぎの松には柵をめぐらし、山頂には行幸記念碑が建てられた。また中居の東台にも明治天皇御野立所として記念碑が建てられている”
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現在この第二天覧山の石碑のことを知っている人は、残念ながらほとんどいらっしゃらないと思います。
今から130年ほど前、ここから風景をご覧になった明治天皇は何を思ったのかを考えると、感慨深いものがあります。
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桜の森はご覧のようになっています。
桜の森の出発して宮沢湖へ向かいます。
宮沢湖に到着です。暮れの奥武蔵中学駅伝のスタート地点にほど近い場所です。
宮沢湖の堤防で簡単な打ち合わせです。
堤防からの眺めはご覧のような感じです。こちらものどかな風景が広がります。
この日宮沢湖では、釣り人が大勢いました。
宮沢湖を後にして途中長福寺を通って精明公民館へ向かいました。写真は小高い丘に建つ精明小学校とその周辺の風景です。
精明小学校は少子化の影響で、各学年が現在1クラスということです。自分が通っていた30年前は、児童数が多く狭い校庭にプレハブ校舎が建っていました。隔世の感があります。
精明小学校の周囲には、ご覧のような田園風景が広がっています。
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冒頭でもご紹介したように今回のラリーは健康づくり推進事業の一環として行われるため、例年に比べて多くの方の参加が予想されます。そのため、ラリーの発着が精明公民館ではなく、市役所になっています。
しかし精明地区の歩行ラリーですから、精明らしい場所を中心にコース設定をしています。今回写真で取りあげた場所以外にもたくさん見どころがありますので、ぜひ多くの皆さんに歩いて頂ければと思います。
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